「ねぎらい」に「正しさ」は要らない。と思う。

【「ねぎらい」を伝える理由】

 

「ねぎらい」を伝えたり、実践したりする理由の、大きなひとつに

「争いを生まないため」

というものがあります。

 

 

誰かが傷つき、時には、命をも落としてしまう、

哀しい争いが、世の中からなくなってほしい、、、と切に願っています。

 

「争い」は、どうして起こるのか?

 

それは、

 

「正しさ」と「正しさ」が、ぶつかってしまうからです。

 

――どの民族もそれぞれ他の民族より正しいと思っている。

これが愛国心を生み、戦争をも引き起こす――

デール・カーネギーの言葉

 

「愛国心」は、決して否定されるものではありません。

でも、私たちが自国を愛すると同じように、

どの国の人たちも、自国を愛し、民族に誇りを持っている。

それを否定されたり、

ましてや、攻撃されることなど、あってはならない。。。

 

――平和は、力では保たれない。

平和はただ分かりあうことで、達成できるのだ――

アルバート・アインシュタインの言葉

 

わかりあうこと。

理解しあうこと。

認め合うこと。

 

ここに、「ねぎらい」の、本当の目的があると考えています。

 

 

【「正しさ」の危険】

 

「正しいことをしなさい」と、

私たちは、幼いころから、教わってきました。

しかし、「正しいこととは何か?」

それは、

「誰の立場でモノゴトを見るか?」

によって、まるで真逆の答えを導き出してしまいます。

 

桃太郎は、正義の味方と思い込んできましたが、

鬼の立場にしてみれば、

家族を奪った、憎い敵です。

 

 

最近、「正しさ」について、少し考えることがあったので、

綴ってみようと思います。

 

 

ようやく、冬休みに入りましたが、

それまで、毎朝、我が家で繰り広げられてきた攻防。

 

次男の「学校行きたくない」病が、だんだんエスカレートしてしまいました。

 

理由を、なかなか語ってくれませんでしたが、

ようやく聞き出せました。

 

「宿題を忘れると、リーダーから責められるんだ」

 

次男の中学校では、クラス対抗で、

「全員宿題提出競争」なるものを敢行している、と、その時初めて知りました。

 

いわゆる「連帯責任」で、誰か一人でも、宿題を忘れると、

みんなが楽しみにしている、レクリエーションの時間がなくなるといった、

わかりやすいペナルティがあり、

クラス全員から責められ、

だから、みんな必死で宿題を出すそう。

 

もちろん、、、それで、提出率が上がり、

成績も上がれば、めでたしめでたし、、、なのかもしれません。

 

が、、しかし、、、。

次男をご存じの方はご理解いただけるかもしれませんが、

彼は、なかなかに、身体が小さく、

中学校生活についていくのがやっとで、

家に帰ると、疲れ果てて、そのまま、朝まで眠ってしまうこともあり、

どうしても、宿題ができない日もある。

宿題を忘れていくと、先生からは、容赦なく叱られ、

また、クラスのリーダー格の生徒からも、

一見いじめのような扱いを受ける。

(3~4人に囲まれて、「なんで忘れたの?」と言われ、

次男が理由を答えると、からかわれ、

「お前のせいで!」と言われる)

 

 

でも、もちろん、その生徒にしてみれば、

「いじめてなんかいませんよ!

はやと君にちゃんと提出してもらえるよう、アドバイスしてるだけです。

だって、それがクラスのためであり、僕の役割だからです!」

と、まっすぐな瞳で言うだろう。

 

そう、彼らは、悪くない。

まさに、「正義の味方」であり、

「クラスのヒーロー」だ。

誰も、悪くない。

いや、やはり、

宿題を出せなかった、次男が悪い、、、ということになるのだろう。

 

ただ。。。

先生にも、そのリーダー君にも、ぜひ、知っておいてほしいことがある。

 

みんなと同じようにはできない人たちが、世の中には大勢いる、ということを。

次男のような、体力のない子もいれば、

要領が悪く、不器用な人もいる。

一度で理解できる人もいれば、

100回聞いて、ようやく理解できる人もいる。

みなが、同じようにはできない。

 

……では、その人は、「悪者」ですか?

 

 

 

先日、三者懇談があり、担任の先生とお話をした。

先生曰く、

「まず一年生にとって大切なことは、確実に課題を提出する、

という習慣を身に付けることです。

ですから、、、どうしても難しい場合は、極論、答えを写してでも、提出させてください」

 

思わず、

「それ、意味、あるんですか?」

と尋ねると、

「やはり、、、言われたことをきちんとやり遂げる、

それが、社会のルールじゃないですか。

それができる基礎力を、養うことが、今は必要ですから」

との答えが返ってきた。

 

学校というところは、、、

つまんねー人間を育てるところなんだな、、、と、

その時、改めて思った。

 

言われたことをやり遂げる力。

それを育てるために、連帯責任にし、

「やらないと叱られるから、しょうがないからやる」人間を、

大量に生み出していくのだな、、と。

やがて、

「正義」の名のもとに、

弱者を排除していく人間も大量に生まれてしまうのだな、、、と。

どうして、教えてあげないのだろう。

社会というところは、言われた通りにはできない人たちも

たくさんいる、ということを。

 

「できない人間」を責める気持ちが、やがて、「いじめ」や「パワハラ」を生む、

温床になっていくことを。

 

そして、

どんな相手であっても、認め合い、理解しあえる術が、

これからの社会には必要であることを。

ねぎらいに、「正義」はいらない。

どっちが正しいか、

どっちが間違っているか

そんなことは、どうでもよく、

理解しあいたい。

お互いのことを、分かち合いたい。

「ああ、なるほど、あなたは、そう思ってたんですね。

聴かせてくれてありがとうございます」

「そっかー、そういう風に考えてきたんだね。

それは、きっと苦しかったよね、気づかなくて、ごめんね」

 

そんな風に、相手のことを思いやり、

 

お互いを理解し、互いに認め合えたら、

 

つまらない争いも、

つまらないいじめや、諍いも、

きっと起きないはず、、、。

――悪魔なんていなかった。

ただ、人がいるだけ。

私たちは、見たこともない人たちを、悪魔だと決めつけて、

ずっと、同じことを繰り返している――

「進撃の巨人」訓練兵ガビのセリフ

 

生まれながらにして、

「お前の使命は、「悪魔」(である隣国の人たち)を壊滅させることだ」

と教育され続けたら、

立派な兵士が大量に育つ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

正しいことをしなさい。

正しいことをして、「悪」を正しなさい。

 

もう、そんなウソをつくのはやめよう。

 

あなたが、かけがえのない大切な存在であるように、

あなたの隣にいる人も、また、かけがえのない存在。

 

それを、伝えるために、

 

今日も、これからも「ねぎらい」を実践し、伝え続けようと思う。

 

 

【これからの「ねぎらい」イベント】

詳細・お申し込みは、こちらから

「ねぎらいの魔法」を体感!ねぎらいフォーラムスケジュール

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。

CAPTCHA